Fiction / The End

大人になって暴力を振るうと犯罪になるじゃん?だから私は暴力の代わりに〇〇を使うよね!

カレーのもたらす美容効果 エベレストキッチン編

ぷりんぷりんの引き締まったヒップをふかふかのシートに乗せて時速66.6kmでバイクを走らせていると、一軒の飲食店が目に留まった


サインのデザインはいかにもアジアらしく、和を基調とする純日本のそれではなく、フォントと色使い、さらにド派手なイラストが「カレー色」を前面に押し出しており「一体何を食わされるのであろう」という不安と「本場のカレーが不味いわけない」という期待が入り混じりアクセルとブレーキが格闘していた


しかしながら「腹が減ったら食べる」という我が方針に逆らうことは人としてあるまじき行為。インド、アーユルベーダの基本を会得した私に素通りすることは不可能であった


点滅する信号を目の前にDのドラフトをかまし、店先の駐輪場らしき歩道に滑り込んだ。間違いなく路上駐車であるが、目標「エベレストキッチン」は駐輪場を抱えておらず、まさに文字通りエベレストであって乗り物で登頂するものではない


万が一、シルバー人材センターの「切符切り代理人」に目視されたら飲食代のおおよそ10倍の違反金を納付することになる


だが、そういったリスクは食欲と性欲、睡眠欲の前には霧散する


「今」を最優先する、胸に手を当てて自分の心に聞いてみる、という基本を前にはリスク要因は排除されて然るべきなのだ


バイクのキーも差しっぱなしで入店するのが人間のあるべき姿であろう


さあ、入店である


ド派手な赤黄緑のビビットカラー弾幕と動植物のステンレス細工を意匠とした照明器具、分かりやすく表現するなら「ボブマーリー」のレゲエバイブスが漂う店内はスパイスの香りも相まって、そこに日本人が溶け込むためには「和を以って」なんたらという心は一旦保留すべきであろう


葉っぱを片手に瞑想し、第三の目を開眼させてこそカレーと繋がれるというものである


厨房には2人の男性スタッフがおり、失礼を承知でいうのであれば、ホール担当のイケメンとキッチン担当のブサメンが切り盛りしているというイメージである


私は根っからの「MSG」反対派であるからにその詳細を「No.MSG?」「NO.MSG?」「DO U understand?」とフレンドリーに問いたが、イケメンは理解していないようだったので、ストレートに日本語で「味の素使ってる?」と翻訳すると即座に「NO」と目を光らせたので、お互いの心の距離は縮まった


注文はもちろん「ホウレン草」系の葉っぱ系のルーをチョイスする


この選択はいかなるシーンにおいても「葉緑素」の力を天の導きとして重んじる精神がそうさせるわけだが、生物学的説明はここでは割愛する


緑色のカレーにスパイスを添加することで細胞と血液に「マグネシウムと鉄」のバイブレーションを加速させるのだ


もちろん、鶏肉やチーズの添加も悪くないが、その選択は自らの身体に聞いてみるとよい


私はとてもしつこく、ねばっこく、気になることをイケメンに問いただし、厨房の奥のブサメンにウインクでプレッシャーをかける


この私に妥協したものを出したらどうなるか、それを事前の質問で自覚させ、さらに背筋を伸ばしていただく


まさにハッパをかけるとはこのことであり、異国人を家畜とみなす民族がいることを忘れてはならないのだ


我々はとうの昔から13血族の支配下にあり、家畜同然の残飯を食わされているという現実から目を逸らしてはならないのだ


話は大きく飛躍してしまったが、ネパールからインド、そして中東付近ではハザール王国というゴイム国家のタルいムードが存在し、現在も彼らが幅を利かせているという事実を忘れてはならない


そうこうしているうちにサラダが運ばれてきた


片手に収まるくらいの小さなガラスボールにキャベツとレタスときゅうりの細切りが盛られており、ドレッシングは白ごまか


特筆すべきことはなく、至って普通のサラダであるが、箸が止まることはなかった


つまり、不味くはないということだ


そして、ついにメーンである「ホウレン草」のカレーと「ナン」が運ばれてきた


事前に詳細を聞いていたホウレン草を下茹でし、ミキサーでペースト状にしたものである「様子」がありありと表現されており、ナンも想像を超える大きさである


1メートルはあろうステンレス皿を余裕でハミ出すレベルのナンサイズと緑から立ち昇る湯気が私を「非人間化させる」


獲物を前に食欲を抑え切れずにいる動物のように理性を失った私は堪え切れずにナンに掴みかかった


メンチを切って胸ぐらを掴むような荒々しさ、または恥辱をもってパンツに手を掛ける獰猛さを想起させるアクションに自らのアカデミックさ全てを否定する


ナンは理想的な焼き加減であり、鍋に張り付いて起こる、いわゆる「おこげ」部分とふんわりとした表面の感触がちぎることで筆舌に尽くしがたい食欲を誘う


おこげのサクッとした香ばしい歯ごたえにバターが塗られほどよく溶けたふんわり表面の食感が口の中で炸裂する


優しく広がるという表現もいいが、空腹に与えられた脳へのイメージは上記が望ましく、一度でも美味しいナンを食べたことのある人間であれば理解できるはずだ


うまい


ひとことで言ってしまえばそれでお終いだが、私は天と繋がる無限の可能性を「言霊」にかける伝道師である


言葉は湯気のごとく消えゆき、二度とない表現の芸術を有する


かのアーユルベーダの達人が残した言葉である


私が表現したナンの具現化はこの瞬間、誰かに読まれることで成仏し、読者がカレーを求めて食するまで続く物語である


さて、このバターが滴り落ちるナンのカリふわの食感に「葉っぱ」の要素をプラスする


葉っぱの表面をコーティングするオイルとスパイスが絶妙なタイミングで舌になるならば、もはや明日目覚めぬとも後悔はない


そこまで「魂を揺さぶる」味覚のボルテージ


全開である


まるで自らがグラマラススカイのリードボーカリストとして、ステージに立たんとする、それくらいの高揚感と圧倒的な恍惚感


私はスターである


中島美嘉が「Stars」でデビューを飾った瞬間、自らもアクセル全開で国道を突っ走った爽快感


その瞬間と同様、いや遥かに超えてくる多幸感が葉っぱとナンという「合法ドラッグ」で達成される


あゝ、もはやこの命、投げ出しても構わない


そう思えるほどに導かれる危険な食卓に腹の底から圧倒される


この麻薬のような体験があと何度、私の舌を刺激したら満足が得られるのか。いや既に満足は得られているが、これはいくら手に入れても決して得られない充足感を示す「限界効用逓減の法則」による金銭の事例と同義であろう


いうなれば自らの肉体が破滅するまで続く、猿のアナニーといってもよい


気持ちがいいという次元を遥かに超越してもなお、理性では抑えがたい欲求の果て


無限の荒野である


一瞬の瞬きが「命取り」になる真剣勝負であり、ナンという剣(つるぎ)で葉っぱを切り落とす、まさに神業(かみわざ)


側から見れば単なる一お客様であるが、精神世界では血で血を洗う闘いが繰り広げられているのである


馬鹿者だと笑うものも多かろう


しかし、それは幼少期のワクチンで塞がれた眠りしチャクラの弊害といってよい


感性というものはありとあらゆる事象において、表現可能な言霊とリンクしたときに無限の歴史を生む


ホツマツタヱ」が秀真伝であるように、焚書に耐えうる言霊は常々、水や石版などのハードディスクに保存されて記憶として人間がローディングしてゆく


例えそれがくだらない手記であったとしても、読み手が相応の知的レベルに達していれば深く読み解くことができ、たった一句から数十句の訓戒を導き出すこととなる


瞑想から松果体を、ラーの目から黄金比に至るまで精神性の宿り木はいかなる表現からも無限の解釈を得ることができる


全ては繋がっているなどと、軽薄に説く詐欺師とは次元の違う目で語るものだ


すっかり話はカレーとは次元の違うところまで来てしまったが、こうしてカレーを語るだけでも精神性に訴えることが可能だという例を示したことにして欲しい


そして、ここまで読み解いた者だけが辿り着く「美容効果」も記しておきたい


よくぞ、このような駄文にここまで付き合ってくれたと思う


ここまで読み続けたあなたはかなりのハイレベルの美貌をお持ちであることは疑いの余地はない


だからこそ、その探究心の具現があなたであり、今後もその精神があなたをより魅力的にする原動力となろう


美容効果はすでに本文中に記したとおり、


「葉っぱ」の葉緑素


「鉄」「マグネシウム」の循環であり、「血液」と「葉緑素」のシンクロである


そしてナンに含有する穀物


添加されるオイル(動物性のバター)が鍵を握っている


植物に含有するタンパク質の吸収を助けるのがオイルの役目である


整体を健全に維持する上で欠かすこのできない要素がふんだんに詰め込まれており、それは主役の「葉っぱ」無しでは語れない


ハウスバーモンドやこくまろなどではアクセス不可能な回路が開かれる


それをひらくのがスパイスであり


とりわけターメリックの浸透力である。血液脳関門(BBB)を突破する物質として作用するわけだが、今をときめくワクチンの成分でも有名なタンパク質もそれに該当するわけであるが、こちらは混じりっけのない本物である


効果抜群の特効薬として推奨しよう


さて「エベレストキッチン」で修行を終えた私が向かった先はというと


もちろんもうひとつの「エベレストキッチン」である


ひとつの世界で物事を語ることは科学にあらず


個人的感想を一般化する詐欺師に惑わされぬよう、自らの目で耳で口で体験し、歴史に耳を傾ける


その繰り返しが「核心」に近づく王道である


得られるものは値千金の「感性」であり、それが人を動かし、人類の向上に寄与するものとなろう


たが、現在は「人類の堕落」に貢献するならず者がなんと多いことか


しかし、読者にはこれだけはいっておこう「決して争うでない」


なぜなら支配者は分断して、二極化を促し、同士討ちをさせることを目論んでいるからだ


用心するべし